医療サービスのコストパフォーマンス

久しぶりに総合病院なるものに行った。結局病気ではなかったが、仕事上しゃべりまくることが多いので、声帯が真っ赤に炎症しているというものだった。都立病院に行ったときに浮かんだこのテーマについて考える。

この都立病院は徹底している。なぜなら外来は予約制紹介制であり、適切な専門医により適切な診察を行い、診断を下し、その後は最寄の病院で治療を続けてください、というスタンスである。事実、耳鼻咽喉科と内科に行ったのだが、前者では初めて鼻穴からのカメラ投入、後者では数十種類もの診察(検査ではない医師の直診)をされた。診察の前には症状についての詳細なヒアリングがあり、それは10分以上に及んだ。

もちろん紙カルテなどなく、電子カルテである。耳鼻科でヒアリングされたことが次の内科ではちゃんとディスプレイされていた。ただ症状のヒアリングは、下記の4回にも渡ったため、ひどく煩わしさを感じずにはいられなかった。

1.総合受付
 今回予約も紹介もないので、どの診療科目で診察するかを決定するための看護師によるヒアリング。

2.耳鼻科
 これは仕方ない。

3.内科(正確には時間外だったのでER)
 耳鼻科でのヒアリングに対しさらなる症状ヒアリングが続く。

4.院外薬局
 現在服用している薬やアレルギーなどのヒアリング。

今の症状を語るのに煩わしさはない。自分では何らかの病気の可能性を疑っているので、正確に症状を伝えて医師に診断してもらおうとするためだ。しかし、既往歴や現在服用している薬などは同じ情報である。このような情報は1回で済ませられるようになると、さらによいサービスにつながると思う。時間も短縮でき、総合病院にありがちな「待ち時間地獄」が少しは解消されるであろう。もっと言えば、これらの治療情報を各個人のセキュアなブログに蓄積し、それを見る権限を一時的に医師に与え、必要な情報を医師がカルテに写せるようになるとよい。そして、今回の診察結果や投薬経験をさらにブログに自動蓄積していく。そのような試みをしている例は聞いたことはないが、これから必要とされるサービスであろう。閲覧権限を一時的に与える仕組みはおサイフケータイに組み込まれているICチップが適切かと思う。普通の人は自分が処方された薬の名前など正確に覚えていない。その場限りである。その正確な情報(薬事典としてはkakoさんの 「ハイパー薬事典」が秀逸である。)と服用量が医師に正確に伝われば、より適切な診断ができるのではないか。診断までをコンピュータが自動化できるわけはないのだが(いや、もしかするとこれらの情報と現在の症状を入力するとある程度の範囲はできるのかも?)、整理された情報が豊富にあることに価値があると思う。

そうなると、情報に意味付けできるxml化が必要となる。治療情報をxml化することで、ブログからそれぞれの病院のカルテへと情報の交換ができるようにするのだ。もしかしたら、治療情報のタグ名付けはすでにorgなどで試行されているかもしれない。

ただ、実際このようなことをやろうとするには、色々なハードルが予想されるが、ぜひ厚生労働省始め医療関係者は頑張ってもらいたい。

1.個人情報漏洩リスク
2.ある医師の診断を別の医師が見れるということに法律上問題がありそう。
3.別の医師が見れることで、情報が多いがゆえの、診断ミスがありえるか。

さて、診断を得たら次は会計である。ここも都立病院は素晴らしい。会計ロビーに行けば大きなモニターがあり、そこに番号が表示されたらコンピュータによる会計が終わったということが告げられる。すると、ATMのような機械にカードを差し込み、自動入金しておしまい。である。この間、ほとんど待ち時間はない。院内の情報化がなせる技である。そして、ATMの横には領収書の見かたがしっかり書かれたA3カラー両面の案内がおいてある。これも非常に参考になる。なぜ今回自分はこの金額を支払ったかがよく分かる。そして保険に加入しているありがたさもよく分かる。

ここで誰もが気になるのが金額である。点数を計算して保険加入であればその点数の3倍(未加入なら10倍)を払うのだが、「検査622点」とあってもそれが本当に適切な価値かよく分からない。ただ、今回の私のケースでは、病気の疑いが晴れて安心できたので、結果として払った3,000円弱の価値は充分にあった。しかし、ほとんどの人が「何も思わない」か「高すぎる」とただただ思うだけなのであろう。ようやく今回のテーマにたどり着いた。

私の結論を述べてしまえば、結論は「その人の価値観による」である。医療サービスに限らず、いかなるサービスや物品に対価を支払うのは、その人の価値観なのである。その人が「払ってでも欲しい」と思わせるならその価値があるのである。市場経済の根幹である。

問題なのは、医療サービスは「前もって金額が分からない」ことだと思う。市場のサービスやモノは購入前に価格が分かる。見積であったり値札だったりする。しかし、医療の場合は前もって金額を知らされないのだ。そのことに誰も疑問を感じていない。もちろん、高額医療や入院の時はそれなりの打診があるが、通常の外来や再来での時は後で分かるのである。医師は今からやる診断や検査が何点か分かっているはずである。前もって「今から225点の診察をさせていただきます」と言ってもらえれば、値札がついているのと同じである。私は、命や身体に値段をつけろと言っているわけではない。そのようなかけがえのない唯一無二のものに値段なんてない。ただ、誰もが後で「高い」と思って不満に思うのであれば、前もって言ってもらうか、聞けばよいのではないか、と提言したい。

そうだ、今度病院に行ったら先生に「これからやってもらうことは何点ですか?」と聞いてみよう。

医療サービスのコストパフォーマンスは、一般の市場サービスのように人の価値観で決まるものであり、一定の基準はない。しかし、その対価を前もって知ることができることで納得感を得られる。

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